グループBラリーカー見学と昭和感漂うお店でB級グルメを堪能

        

世界最高峰のモータースポーツF1、世界各国のサーキットを転戦しメーカー、ドライバーが戦う。
もう一つの最高峰のモータースポーツWRC(世界ラリー選手権)
世界のあらゆる公道を使って世界一速いドライバーを決めるモータースポーツだ。

WRCが創設された1973年からGr.2やGr.4で戦われて来た。
国産メーカーの日産や三菱がサファリラリーなどに参戦し、
子供ながらに同時に「ラリー」という競技の存在も知る事も出来、同時にスーパーカーブームでの
影響も有り70年代のラリーシーンではランチャストラトスが外せないマシンになった。


( ランチアを語る上で外せない貴重なモデルを所有する オーナー様のガレージ )

1980年代に入り、WRCでグループB規定が採用されるようになると国産勢からは日産・240RS、マツダ・RX-7や
トヨタ・セリカなどが参戦する。
しかしながら、アウディ・クワトロの参戦により「4WD以外は勝てない」状況になったWRCは、4WDのラリーカーを持たない日本メーカーにとっては勝つことはとても難しいものだったらしい。
2駆よりも4駆、4駆になれば重くなる、重くなればパワーが必要と当時のグループBラリーカーのパワーは600馬力近くあり、パワーウェイトレシオはps/2kg以下。0-100km/h加速では、当時1000馬力といわれたターボF1マシンを上回る加速力を持っていた。
例えるなら35GT-Rの車重が半分になって電子制御が全く無い車!
そんなパワフルなマシンが、グラベル、ターマック、アイスバーンなどのあらゆる道を豪快に走るのだから、面白くないはずがない、WRC人気は絶頂に達した時代だ。

グループBカーのロードゴーイングモデルは、まさに「勝つ!」ためだけにこの世に生を受けたコンペティション向けの純粋なホモロゲーション・スペシャルモンスターマシンなのだ。

午前7時、いつもの仲間でいつもの場所で待ち合わせ、会場の鷲羽山展望駐車場へ移動する。

     

フォードRS200、’85年から’86年にかけて、きっかり200台を製作、FIAの承認を受けた。
ところが’86年はグループBにとって悲劇の年となった。

1986年は開幕戦でトイボネンのデルタS4が勝利し、次戦をユハ・カンクネンの205ターボ16が制した。
2強の激突が話題となる中、第3戦のポルトガルラリーで悲劇が起きる。この年デビューしたばかりの「フォードRS200」が観客の中に飛び込み、40人以上が負傷、3人が死亡する惨事を引き起こしてしまったのだ。

第5戦のトゥール・ド・コルスでランチアのトイボネンが事故を起こす。
後続車に47秒ものリードを築きながらも攻め続け、タイトな左コーナーで転落して炎上した。
この事故で、彼はコ・ドライバーとともに命を落とした。
トイボネンのカーナンバーが4であった為、以後カーナンバー4は1995年まで欠番となる。

ドライバーや観客を巻き込んでの事故続きでFISAは即座に事態収拾に動く。
事故の翌日、この年限りでグループBを廃止することを発表した。
熟成期間が全くなかったRS200はさしたる成績も残せず、悲劇のグループBカーとなった。

     

     
( 仲間のガレージに眠るRS200  イベント参加時の画像 )

         
( 2003年 神戸のスーパーカーイン神戸 開催時の赤色RS200、クラブツーリングで山陽道を爆走するRS200 )

会場には当時WRCを盛り上げた車が勢ぞろい。
グループBが廃止されたのち、WRCはグループAの時代に移行します。
クルマ好きなら知っているであろう、日本車のWRCにおける黄金時代の到来です。
グループA規定が始まった直後はラリーの王者ランチアがタイトルを独占していましたが、トヨタがセリカでランチアの牙城を崩し、1990年に初のドライバーズタイトルを獲得しました。
またグループA規定に変わったことでトヨタ以外の日本車メーカーもWRCに本腰を入れ始めました。

     

三菱はギャランVR-4をラリーカーに仕立て、スバルは技術的に不利な面が多々あったレオーネに別れを告げ、社運をかけて開発されたレガシィで参戦。
またマツダは323(日本名ファミリア)で、ライバルの2リッターに比べ非力な1.6リッター(途中から1.8リッターに変更)ながらも抜群のハンドリング性能で戦いを挑み、日産はコンパクトなボディにハイパワーな2リッターターボエンジンを搭載したパルサーGTI-Rを新たに開発しWRCにチャレンジしました。

     
日産とマツダは程なくしてWRCから撤退。
そしてついに二台の伝説的マシンがデビューします。スバル・インプレッサWRXと三菱・ランサーエボリューションです。
二台はともにボディサイズが大きく運動性能の面で不利だったレガシィとギャランから基本的なパワートレーンをコンパクトなボディに移植し、WRCの頂点を目指しました。
書き出すとキリがない・・・

グループSの存在、実は更なる速さを求めてグループBを発展させたカテゴリーが存在したんです。
実戦投入されることなく幻で終わってしまいましたが・・・また次の機会にでも書きます。

グループBカーと現行のWRCマシンどっちが早い?
ラリーステージでは現行が早いでしょうが直線だけなら当時のグループBカーに軍配が上がるでしょう。

貴重なグループBマシンを見学後に仲間とランチに行きます。
B続きでB級グルメ、オムライスを食べに行きます。


( 昭和レトロ感漂うレストラン、倉敷市にあるサンレモンさん )

     

スープ、サラダ、付きで880円、安い。
オムライスはハムにミックスベジタブル、ほんのりバターの香りがするケチャップライスがベース。
薄焼きとトロトロの中間に焼いた卵を乗せ酸味の効いたトマトべースのソースで仕上げた懐かしい味のオムライスだった。

     

昼食も済ませ昼過ぎに解散、神戸へ。
事故渋滞、珍しく前は青色のFD3Sだ、これなら渋滞も気にならない。
救急車が停まる事故現場を過ぎる、バイクの単独事故の様だ、今は見たくない、気を付けよう!
岡山から2時間、仲間とガレージに到着、車を綺麗に洗車して楽しい一日の終了です、
ますます揃えたくなったグループBマシン集合イベント!でした。