懐かしい写真

懐かしい写真が出てきました、簡単なコメントですがご紹介します


ランボルギーニディアブロVT

ランボルギーニディアブロVT

1993年デビュー、水冷60度V12,DOHC48バルブ 492PS 59.1Kgmを発生。ビスカスカップリングを使った4WDモデル。ヘッドライトは後に北米の法規に合わせ固定式に、日産フェアレディZ300ZXに流用された。

アルピーヌA110

アルピーヌA110

ワインディングロードでは抜群の速さを発揮し、その戦積と実際の走りが愛好家の心を捉え販売面でも大成功を収めた。1963年~1977年で7276台が生産された。


フェラーリエンツォ

2002年パリサロンで正式にデビューしたフェラーリのフラッグシップモデル、F1で培った技術を惜しみなく投入し開発されたスーパープレミアムスポーツカーはカーボンコンポジットモノコック、650PSのパワーユニットを搭載、ハイメカニズムをピニンファリーナの手によるエアロボディで包んだフェラーリの自信作。

デトマソバレルンガ

アルゼンチン出身のレーシングドライバー、アレッサンドロ、デトマソがフォードの4気筒エンジンを搭載し65年から67年に掛けて約50台が生産された。1498CC、102PS、車重はわずか640kg。


ディーノ246GT

2418cc、V6気筒、195PS、23.0のトルクを発生。車名の由来はあまりにも有名な話、206がアルミボディに対し246はスチールになりわずかながらボディラインも異なる。オープンモデルの246GTSも後にラインナップされる。

ランボルギーニカウンタック5000QV

LP400の3929CCから82年に4754CCまで拡大された5000S。ライバルのフェラーリがテスタロッサへとモデルチェンジした事を受け、85年に5167CC,ヘッドを4バルブ化して375PSから一気に455PSへと進化する。この後アニバーサリーへと受け継がれる。


フェラーリ512BB

1976年パリサロンでデビュー、180度V12・4カム4943CC、360PSを発生。365BBよりも20PS控えめだが最高速度は302キロと当時の世界最速の数値を公表した。

ロータスヨーロッパS1

66年12月、タイプ46として発表されたロータス初のミッドシップスポーツ。シャーシはY字型バックボーンフレームでエランとは逆方向に用いる。68年にはサイドウィンド開閉式のS2へとバトンを渡す。


ランチャ037ラリー

2L、直4DOHC16バルブ、83年ラリー037はFIAグループB初年度ワールドタイトルを獲得、84,85年は4輪駆動の波に抗し切れず86年にデルタS4にバトンを渡す。

ランボルギーニエスパーダ

ハラマと同一のシャーシを持つ4座のグランツーリスモ。3929CC、350PSの心臓を縦置きに収め全長4740mm、ホイルベース2650mm、最高速は245キロ。


ロータスエスプリS300

92年バーミンガムショーで発表されたS300。デビュー以来最も過激なモデルと共に当時のBPRGTチャンピョンシップ参戦の為のホモロゲーションモデルでもある。S4に比べ110kgも軽いシャーシに302PSのまでチューンされたLV220型、4気筒DOHC 16バルブ+ターボチャージャ-ユニットを搭載。

ランボルギーニカウンタックLP400

V12気筒、DOHC、3929CC、375PSの心臓を搭載し74年からデリバリーが開始される。71年トリノショーでプロトタイプLP500が発表され、オーバーヒート対策、エンジンの縮小化など現実化されたモディファイを受けデビューした。


ポルシェ930ターボ

1974年パリサロンで公開された930ターボはカレラRSの3.0。空冷水平対向6気筒SOHCにKKK製タービンをドッキング。0~100を5.2秒、0~1kを24.0秒、MAX250キロ以上。

ロータス23B

ロータスツインカムにヒューランドMk6を組み合わせるFJマシンのフレームの上にFRPのボディをかぶせたもの。純レーシングカーでステアリングのすぐ右にシフトレバーが有る。1963年、第一回日本グランプリではピーターウォーがドライブした。


プジョー306MAXI

1998年の世界ラリー選手権第六戦ツールドコルスで総合2位を獲得するなど活躍を見せた306マキシ、ドライバーはフランス出身フランソワ・デルクール。

ランボルギーニウラッコ

1970年トリノショーでデビュー。1972年には35台しか生産されなかった。ポルシェ911のマーケットの切り崩しを主目的とし誕生したウラッコ。2+2の実用的なスーパーカーを目指し開発されたモデル。


トヨタ2000GT

65年の東京モーターショーでプロトタイプがデビュー。60年代日本の自動車工業の技術的な頂点を示す象徴的な存在でも有る。映画『007は2度死ぬ』にボンドカーとして登場した事も有名。

フェラーリ288GTO

1984年308GTBをベースに製作したホモロゲーションモデル。2855CC、V8気筒、IHIターボチャージャーが組合わさり400PSを発生する。


トヨタ27レビン・セリカ2000LB

73年4月デビュー、コロナ、マークII からエンジン、ミッション共に流用した。DOHC18R-Gを搭載、145PSトップスピードは205キロ。

フォードGT40

964年ローラGTをベースに4.2L、V8エンジンを搭載し意気込んでデビューしたルマンでは出場した3台ともにリタイヤに終わる。65年にレース体制を大幅に変更、開発の中心をアメリカへチームの運営も経験豊富なシェルビーアメリカに任せる、翌年ルマン24時間レースに出場したGT40は見事優勝、69年まで4連覇を成し遂げた。


フェラーリ308GT/4

1973年パリサロンでデビュー。8気筒フェラーリの最初を飾る記念すべきモデル。2926CC・255PSを発揮、80年ピニンファリーナデザインのモンデアルに後を譲った。

デロリアン

GMの副社長にまで登りつめたジョンデローリアンが自ら興したメーカーの第一弾として送り出されたGTカー、ロータスのコーリンチャプマンが設計に参加しロータスのバックボーンフレームに2.85L、V6エンジンを搭載。ステンレスのアウターパネル、ガルウイングもこの車の特徴。タイムマシーンとしても有名です。


ロータスエラン26R

ロータスエランはスポーツカーの必要条件をすべて満たした、これぞロータスと呼べる車。エランに惚れ込んだ人ならば26Rというマシンには、憧れと言う言葉だけでは表現しきれない事でしょう。1962年から1974年までS1からエラン+2まで12年間生産されました。エラン26Rは100台が生産されたと言われます。

フェラーリF40

1987年フェラーリ社の創立40周年を記念して発表されました。エンッオフェラーリが最後に関ったフェラーリとしても有名です。水冷V型8気筒、DOHC、IHIのタービンとのドッキングで478PS、MAXは324キロ。


ジネッタG12

クローズドボディにロータスツインカム(BRMチューン)のエンジンにヒューランドMk9のミッション、フルロールゲージが装着されエアコンなど快適装備が一切無いスパルタンな車、サーキットを走りたくなる一台です。

スカイラインGT-R

68年8月、3代目スカイラインがデビュー。 同年10月に直6、DOHC、24バルブというセミレーシングユニットを搭載し後のツーリングカーレースの王座に君臨する事となる。1989CC,160PS


サニークーペGX-5

70年に登場した2代目サニ-(B110)。5速目がオーバートップではなく直結5速のギアボックスを備えたGX-5。サイドの赤いラインも5速の証し。ツーリングカーレースでも長い間活躍した。

トミーカイラZZ

96年11月にデビューした超軽量スポーツカー。レーシングカーデザイナー、ムーンクラフト社が由良拓也氏に委ねられたボディデザイン。パワーユニットは日産製、直4DOHC16バルブに京浜キャブレター4基の組み合わせで180PSを発生する。


ロータスエスプリS1

1975年ヨーロッパの後継車としてデビューしたエスプリ。S1、S2、S3と進化し1980年にターボエスプリの登場となる。イタリアのデザイナー、ジュージアロによってデザインされた。

ランチァストラトス

2180mのホイールベースに1400mを超えるトレッド、素晴らしい回頭性と一流ラリードライバーが操れば最高のマシンとなった。当初はフルビァHFの、V4、1.6Lが考えられたがキャパシティーに余裕が有った為ディーノ246GT同様のエンジンを収める事になる。


ランボルギーニイオタSVR

我々がスーパーカーブーム当時良く目にしたイオタがSVRだった。ポスター、カード、そして潮来のオックスと言えばSVRだった。SVRをカメラに収める為に名古屋へ行き撮影した一枚。

ランボルギーニミウラ・イオタ

このミウラ・イオタは神戸のあるショップにて撮影させて頂いた。シャーシNO4990は数少ないファクトリーチューン公認のミウラ・イオタである。


ランボルギーニイオタ

ランボルギーニのテストドライバー、ボブウォレンスがイオタの生みの親、その設計の基本ラインとしてFIAのJ項規定ルールに従って作られ(Jotaと呼ばれた説も)ミウラをベースにいくつかの変更を受けた。まずサスペンションは純粋なレーシングカーに、内装はミウラの美しさを捨てスチール板に固定されたメーター、ガラスの代わりにネットを使用したドア、ホィールとタイヤはレース用に変更されエンジンは3929CCのオリジナルミウラではあるがキャブをウェーバー46IDL型に変更。カムシャフト、ピストンも専用タイプに変更されドライサンプ式の潤滑システム、圧縮比が11.5に増し440PS,8500rpmに押し上げられた。シャーシNo 5084のワンオフモデルのJは72年8月にミラノの顧客に向け出荷される。納車されたJはわずか二ヶ月後に全損事故を起こし完全に焼失してしまった。

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