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洗車の後、雨の中のドライブ!
2018-09-17 | コメント(0)日曜日の早朝にヨーロッパとFDを洗車し、午後から仲間との約束場所へ。
tamiさんのエスプリもタービン修理から復活!
調子を兼ねてエスプリ通のHW-Kさんと3台で軽~く、出掛ける事に・・・
待ち合わせ場所を予定より45分遅れて出発?
田舎道を北え、北へ走る
山間部に入るとどんよりと曇った空に、ポツポツと大粒の雨が・・・洗車したのに!
エスプリのタービンの調子を確認するため車の少ない峠道へ
HW-Kさんがパソコンをエスプリに繋いでデーターの収集、
詳しくはtamiさんのみんカラで・・・
データ収集が完了しもう少しドライブを楽しみたい。
朝来市にある「神子畑(みこばた)選鉱場跡」へと走らせた。
更に雨が激しくなる・・・この土地特有の天気かも。
駐車場はガラガラ、ツーリング途中のライダーが数名雨宿りしている程度。
神子畑選鉱場は、大正8年(1919年)に竣工し、幾度かの拡張を経て
「東洋一」と言われるまでに発展した。最盛期には、1300人の人々が神子畑地区で
生活していたが、明延鉱山の閉山に伴い閉鎖されたそうだ。
神子畑選鉱場跡には、下から真っ直ぐに伸びていくレールが残されている。
これは、資材や人を各作業場に運ぶために使われた、
インクラインと呼ばれるケーブルカーが走っていたレールだ。
明延鉱山と神子畑選鉱場の間を走っていた列車がこの小さな電車だ。
まるで遊園地の電車のようだが、これは当時使われていた実物だそうだ。
当初は鉱石のみを運んでいた鉱山列車でしたが、昭和20(1945)年から鉱山従業員
が通勤用に使うようになり、昭和24(1949)年からは客車を連結して一般の乗客も運ぶようになりました。
昭和27(1952)年からは、一日の乗降数を数えやすくするために乗車賃を1円としたため、
「一円電車」の愛称で親しまれるようになり、のちに全国的にも有名になりました。
客車の小さなベンチシート、天井も低く大人は身を屈めて乗車する。
時刻表も残っていた、昭和44年10月の時刻表だ。
朝の早くから夜遅くまでこの小さな電車が活躍していたのですね。
鉱山を後に、もっと早く帰る予定でしたが帰りはライトを点ける時間になってしまいました。
途中のPAでコーヒーブレイク♪
何やら付け忘れた部品が有るそう・・・
半日でしたがとても楽しい廃墟ツアーの時間になりました。
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