Club BLOG
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新年明けましておめでとうございます。
2019-01-03 | コメント(0)年末から家族で三重県で過ごしていました。
この写真は小学校の修学旅行で写した一枚、伊勢の夫婦岩です。
なぜかここに43年ぶりに立ち寄りたく三重県に行くことに。白黒写真、時代を感じます。
30日、神戸を出発し大津SAでの休憩タイム、比叡山に雪が積もっています。
冬用タイヤにチェーンも持参し三重県へ急ぐ。
新名神に入ると雪が降っています・・・ペースもかなり遅い!安全第一ですね。
なんとかタイヤチエーンのお世話になる事もなく三重県に到着!
新鮮な魚介類でも堪能しようと鈴鹿市へ昼食を食べに行きます。
何やら客席の座敷の周りに鯛やヒラメが泳いでる、店員さんが釣竿とオキアミを持ってきた?
ハリスに餌を付け投入・・・釣れたぞ~ 鯛!が
店員さん「お料理どうなさいますか?」 まずは刺身でしょ!
また餌を付け投入・・・・釣れた!また鯛や!
店員さん「お料理どうなさいますか?」 今度は刺身は無理でしょ、塩焼きと煮付けで。
ここはもしかしたら鯛しか釣れへんかも?息子にシマアジしか狙うな!もう鯛は要らんで!とプレッシャーを掛ける。
よっしゃー!見事シマアジGet!や
店員さん「お料理どうなさいますか?」 刺身と塩焼きで!
このネタ、フィシングブログのネタと違う?
鈴鹿から伊勢市へ移動、43年ぶりの二見ヶ浦海岸、夫婦岩へ到着。
お土産屋さん、旅館が立ち並んでいる通りは当時の記憶のままだ!
クラスメイトと撮った記念写真、この場所は有るのか?
早朝から撮影のためクラスメイトもとても眠そうな顔をしている。朝日とのショットが狙いやったのか?
修学旅行当日は曇り空だったのか?
海岸ギリギリの岩場に40名ほどで整列!これは引き潮か?
現在この場所は・・・水没してる?
右側に高い岩だけ見えているがこの場所に40名は並ばないやろ!
あれから43年、多少地形も変わったのだろう?
二見ヶ浦から賢島、宿泊先のホテルへ移動・・・
的矢港を見下ろす景色の良いホテル!
伊勢エビやサザエの塩焼き、またまた刺身を堪能!
翌日は志摩マリンランドへ、海女さんの餌付け?や鍋て食べたいクエ!海水魚を観賞し
伊勢志摩サミットメイン会場となった観光地を巡った。
翌日は日本一のパワースポット伊勢神宮参拝!
さすがに人人人!神社までのアクセスは通行止め、途中からバスに乗り換え!
ここではカメラで撮りまくっても人しか写らん・・・
ついでに少し離れた猿田彦神社もお参りしてお土産買って無事帰宅した。
3日の午後からやっと自分の時間が持てる。
2時間ほど愛車に乗ることが出来ました。やっと年が明けた感じです!
今年も無理なく車趣味を楽しみましょう。
本年も宜しくお願い致します。
lotus,jps,club会長 戎 和夫
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神戸輸入車展示即売会2018
2018-11-26 | コメント(0)俺の一台コンテスト!エントリーナンバー39番の特別入場許可書。
これを貰うためにポーアイのローソンにAM9:30分待ち合わせ!
先日HciのIさんと和歌山釣りのF91さんは348で少し遅れて到着。
誘ってくれた龍野のK会長も到着・・・お約束の展示許可書を貰うはずが「ごめん!家に忘れてきた」?
「無くてもええやん、展示場所へ急ぎましょう」と11台で300m離れた会場へ移動
これね、展示許可書!
いつもの仲間と市民広場へ整列!3連休の最終日ポーアイへの人の流れはどうだろう?
大阪万博でも会場の足に?なんてニュースでやってました。LaLa(ミニカー)
1充電走行距離:80km(エコモード100km)
コンパクトに折りたためる電動スクーター、重さ18kg、最高速度40km
ランボルギーニのブース・・・
少し暖を取るためにポートピアホテルのロビーで仲間とゆっくり過ごした。
お昼はホテルのお気楽レストランでランチタイム!
午後1時、高速道路が渋滞する前にそろそろ解散の時間だ。
主催者に挨拶を済ませ仲間と会場を後にした・・・
ポートアイランドの市民広場、ここは1985年から2年間ヒストリックカーイベント、 ミッレミリアの日本版として
ポートアイランドモンテミリアが開催された場所。
数名のガードマンが一晩中厳重なガードをし、真っ赤にライトアップされた会場はミッレミリアを走行したメーカーの
1967年までに生産されたものと言う規定がある厳しいもの。
整列された真珠のような車に時間も忘れ見入っていたことを思い出す。
もちろんイベントスタート時には人・人・人・で溢れていた!
カーグラフィック誌編集長の小林彰太郎氏も参加され盛大なイベントだった事を思い出す。
アルファロメオTipo33ストラダーレ、もう一度見たい!
なんせデイトナが新しい車なんだから・・・今なら何憶だ?
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貴重な平日のお休み・・・紅葉も見頃だ!
2018-11-14 | コメント(0)年に1回有るか・・・無いな!平日に休めるなんて。
取引先が研修で2日間のお休み、こんなチャンスは滅多にない。
せめて1日だけでもお休みさせていただきました!
貴重な休日、しっかりと朝食を食べ加西市方面へ走る、
駆け足で季節が進むがまだ秋の花コスモスが綺麗に咲いている。
文化財を多数有するお寺、一乗寺に到着!。
駐車場で300円を払い入山受付へ!
石段を登り、最初にあるのが、常光堂である・・聖武天皇勅願建立 天文二十二年(1553年)再建
明治初年再々建・・とにかく古い西国三十三カ所 二十六番札所の法華山一乗寺、よくわからないが歴史の古いお寺のようだ?
紅葉が綺麗だが今年は気温が高すぎ赤が映えない、これから見頃かも
石段を登り本堂へ向かいます、古い日本建築はなぜか落ち着きます。
国宝の三重塔 (承安元年1171年に建てられたものを) 左手に更に本堂へ・・・
本堂へ到着!その廊下を進み三重塔を見下ろすとその景色は絶景かな。
遠くに連なる山々の景色!緑や黄色、赤の紅葉、鳥のさえずりまで心癒されます。
お寺の敷地を探察!駐車場に戻るとFDのボンネットに紅葉とイチョウの葉が・・・
兵庫県の穴場と言われた一乗寺の紅葉、京都のように渋滞や混雑もなく落ち着いて楽しめます。
帰りに立ち寄った北条鉄道法華口駅
【大正4年建設の歴史ある木造駅舎。平成24年に地元企業の無償労働奉仕・浄財寄付によって最新式の多目的トイレ、完全舗装の駐車場が完成しました。さらに、ホーム反対側の敷地に1000本以上の樹木が植えられている駅です。また、平成24年11月には、駅舎内に米粉と地元食材を使ったこだわりのパン工房「Mon Favori」がオープンしました。】
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FD3S、ドアのキーシリンダーシャッターを自作!
2018-10-08 | コメント(0)ここ最近はFD3Sの話題、アクアリュウムの話題が先行するHPになっている。
ヨーロッパで出掛けたいが暑さで勇気が湧いてこない・・・
まだまだFDも購入後、細かい整備、掃除が残っている。
この3連休の週末を利用して気になっていたFDのキーシリンダーシャッターを修理してみた。
FDのキーシリンダーシャッターは素材がプラスティックで出来ている。
経年劣化で綺麗に残っている個体も少ないらしい。なぜプラスティックなのか・・・?
前モデル、FCには鍵穴ライトがついていたなごりか?
今回はシャッターサイズを調べステンレスの板を利用して作る事にした。
金切ばさみで大まかな形にカットし、ヤスリでひたすら削って成形する事に。
ほどほど仕上がったシリンダーシャッター、あとはピカールで磨いて
細かい傷が無くなるまで擦る。
ええ感じやん、ドアノブパーツを外していくと次なる試練が・・・!
リターンスプリングが片方無いやん!
これはヤバい、何か代わりになる物は・・・
机の周りを見渡すと…あるやん!
ボールペンのスプリングで代用出来るやん!
外したついでに埃や油汚れを綺麗に清掃。
グリースアップしながら慎重に組み上げた。
ええ感じやん、また一つ気になっていた事が片付いた。
まだまだ全て掃除や整備が完了するまでには時間が掛かりそう。
楽しみはまだまだ続くと言う事ですね。
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洗車の後、雨の中のドライブ!
2018-09-17 | コメント(0)日曜日の早朝にヨーロッパとFDを洗車し、午後から仲間との約束場所へ。
tamiさんのエスプリもタービン修理から復活!
調子を兼ねてエスプリ通のHW-Kさんと3台で軽~く、出掛ける事に・・・
待ち合わせ場所を予定より45分遅れて出発?
田舎道を北え、北へ走る
山間部に入るとどんよりと曇った空に、ポツポツと大粒の雨が・・・洗車したのに!
エスプリのタービンの調子を確認するため車の少ない峠道へ
HW-Kさんがパソコンをエスプリに繋いでデーターの収集、
詳しくはtamiさんのみんカラで・・・
データ収集が完了しもう少しドライブを楽しみたい。
朝来市にある「神子畑(みこばた)選鉱場跡」へと走らせた。
更に雨が激しくなる・・・この土地特有の天気かも。
駐車場はガラガラ、ツーリング途中のライダーが数名雨宿りしている程度。
神子畑選鉱場は、大正8年(1919年)に竣工し、幾度かの拡張を経て
「東洋一」と言われるまでに発展した。最盛期には、1300人の人々が神子畑地区で
生活していたが、明延鉱山の閉山に伴い閉鎖されたそうだ。
神子畑選鉱場跡には、下から真っ直ぐに伸びていくレールが残されている。
これは、資材や人を各作業場に運ぶために使われた、
インクラインと呼ばれるケーブルカーが走っていたレールだ。
明延鉱山と神子畑選鉱場の間を走っていた列車がこの小さな電車だ。
まるで遊園地の電車のようだが、これは当時使われていた実物だそうだ。
当初は鉱石のみを運んでいた鉱山列車でしたが、昭和20(1945)年から鉱山従業員
が通勤用に使うようになり、昭和24(1949)年からは客車を連結して一般の乗客も運ぶようになりました。
昭和27(1952)年からは、一日の乗降数を数えやすくするために乗車賃を1円としたため、
「一円電車」の愛称で親しまれるようになり、のちに全国的にも有名になりました。
客車の小さなベンチシート、天井も低く大人は身を屈めて乗車する。
時刻表も残っていた、昭和44年10月の時刻表だ。
朝の早くから夜遅くまでこの小さな電車が活躍していたのですね。
鉱山を後に、もっと早く帰る予定でしたが帰りはライトを点ける時間になってしまいました。
途中のPAでコーヒーブレイク♪
何やら付け忘れた部品が有るそう・・・
半日でしたがとても楽しい廃墟ツアーの時間になりました。